創立者の想い

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苅草学院を陣頭指揮して64年目の春、理事長である苅草は惜しまれながら永眠いたしました。享年83歳でした。
苅草がよく発していた言葉に「感謝」があります。今生きている、生かされていることへの「感謝」です。
苅草学院は地域に根差した塾を標榜しております。
地域の皆さまの信頼・期待に応えるべく、教師一同変わらぬ熱い指導を通して「感謝」の思いを伝えてまいります。

「人間への希望」を胸に

苅草学院が本木の地に産声をあげて、今年で64年になります。また、2008年には舎人に、2012年には西新井に本格的な学び舎を建設いたしました。学院には、教育には変わらざるもの(変えてはいけないもの)、すなわち一貫して流れているものがあるという信念、そして教育は常に具体的な実践であるという理念が、時を越えて脈々と受け継がれています。私たち教師陣は、以下の4つのミッションを掲げて、生徒や保護者に接し、信頼を得てきました。苅草学院は、これからも常に子どもたちとともに歩んでいきたいと考えています。

創立者 苅草 國光|創立者の想い|足立区で64年の実績 - クラス・個別指導の学習塾 - |苅草学院|本部校・舎人校・西新井校・五反野校
人生は「自分の人間的能力を出し続ける旅路」である。|創立者の想い|足立区で64年の実績 - クラス・個別指導の学習塾 - |苅草学院|本部校・舎人校・西新井校・五反野校
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創立者の想い|足立区で64年の実績 - クラス・個別指導の学習塾 - |苅草学院|本部校・舎人校・西新井校・五反野校

苅草学院・勁草学舎(苅草國光)の
教育への想い

教育は具体的な実践である

苅草学院は、地元足立区の方々に支持され続け、本年創立64周年を迎えます。「個性の多様化」が求められる昨今、理事長・苅草國光の「教育は具体的な実践である」という想いは創立当初から一貫して変わりありません。今までも、そしてこれからも、苅草学院はそれを継承していく学習塾であり続けます。

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苅草学院の沿革

1959年 苅草学習塾を開設。
1966年 現在地(東京都足立区本木1-10-15)に苅草学院として移転。
1972年 かりくさ文庫を開設。4歳児からの読み聞かせ、読書会、紙芝居、お楽しみ会、
新聞発行等で地域との交流を無料で展開し今日に至る。
1975年 苅草学院の組織を法人とし、有限会社苅草学院を設立。
1986年 ドゥー・ビー・クラブを設立し、青少年に対し農耕、酪農、自然観察等の課外活動の実施。
及び、スキー教室の開催等の事業を展開した。 1995年解散。
1997年 個別指導塾HOPE21開設。鹿浜教室開室(後に少人数クラス指導も開始)。
1998年 HOPE21五反野教室開室。
1998年 西新井アルファ・アカデミーを傘下にし、苅草学院提携塾HOPE21西新井教室として開室。
1999年 HOPE21加賀教室開室。
2000年 苅草学院高校部を開設、代ゼミサテライン予備校を西新井駅前に開室。
2002年 苅草学院高校部、個別指導部門を発足。高校生専門個別指導コースを西新井駅前に開室。
2005年 苅草学院別館(シリウス館)竣工。
2006年 名刹「吉祥院」に筆塚建立。
2007年 第1回筆供養が吉祥院にて営まれる。
2008年 長野県青木村に野外学習センター竣工。
2008年 苅草学院舎人校竣工。
2009年 勁草学舎新校舎竣工。
2011年 苅草学院別館(練成館)竣工。
2012年 苅草学院西新井校竣工。
2014年 創立55周年を記念して「苅草学院55年の歩み」を発行。
2016年 苅草学院本部校にて、夏期集中特訓を開始。

創立者著書の紹介

苅草学院創立者 苅草 国光の著書です。
ご購入をご希望の方は苅草学院までお問い合わせください。

断章 ~次代へのメッセージ~|創立者著書の紹介|創立者の想い|足立区で64年の実績 - クラス・個別指導の学習塾 - |苅草学院|本部校・舎人校・西新井校・五反野校
断章 ~次代へのメッセージ~
〈価格〉1,500
振り返ってみると、私は人生で、いろいろな意味でかなり「劣等感」を植えつけられた。だが、劣等感を持ちそれを個性としたからこそ、六七年間なんとか無事に生きてくることができたのだと思う。そして、こんな感じで今でも生きていっていることは、間違いないのである。(「まえがき」より)
人生はプラクティス - 明日をよりよく生きるために|創立者著書の紹介|創立者の想い|足立区で64年の実績 - クラス・個別指導の学習塾 - |苅草学院|本部校・舎人校・西新井校・五反野校
人生はプラクティス
- 明日をよりよく生きるために
〈価格〉1,200
『人生はプラクティス - 明日をよりよく生きるために』という書名は、よりよい人生のためには、プラクティス、つまり実践あるのみ、という意味でつけました。私たち凡人は、行動を起こすことによってしか、変化し、成長していくことができません。よりよく生きるために行動を起こそう、そして、人間らしい感動のある人生を生きていこう、との思いをこめました。(「まえがき」より)
「夢」に生きる - 私塾教育こそ、我が人生|創立者著書の紹介|創立者の想い|足立区で64年の実績 - クラス・個別指導の学習塾 - |苅草学院|本部校・舎人校・西新井校・五反野校
「夢」に生きる
- 私塾教育こそ、我が人生
〈価格〉2,500
学習塾を始めてからの自分史を、恥を省みず出版してみたところ、なんともまとまりのない本になってしまい、機会があったらやり直したいと思っていました。今回、前著『行く川の流れ』を改訂するチャンスを得、再び自分の浅学をご披露することになりました。
『青い鳥』という童話の作者メーテルリンクは、『空間の一生』という短編の中でこのようなことを述べています。
『人間の一生は、一巻の書物のようなものだ。私たちは毎日、その書物の一ページを書いている。ある人は喜びの笑いで、ある人は悲しみの涙で書いている。とにかく人間は誰でも、何かしら、毎日一ページずつ書いている。そして、その書物の奥付が、つまり墓石である。』
人生が一巻の書物のようなものであると考えることは、それはそれでいいのですが、人生には〝改訂版〟がありませんが書物にはあるということです。それで、できる限り残像が消えないうちに、正しかろうと間違っていようと、書き直せるものは書き直し、加筆するものはそのようにし、思い切って削りました。(後記より抜粋)